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生きる勇気について

2020/11/22(日) 12:13 | izawa

 「おもしろき こともなき世をおもしろく すみなすものは こころなりけり」(面白いこともない世の中を面白く過ごすには 心次第なんだよなあ」

 これは、幕末の志士の一人、高杉晋作の辞世の歌と言われています。最期を迎えつつある床で晋作が「おもしろき こともなき世をおもしろく」と詠んで、そのあと、続きが出てこなかったので、傍らにいた勤皇の尼僧である野村望東尼(のむら もとに)が「すみ(住み)なすものは こころなりけり」と継いで歌ができたと言われています。この歌を作家の司馬遼太郎さんは、望東尼が継いだところが、歌をありきたりないものにしているように思えると批判的でしたが、私(伊澤)は、人間の存在が感じられて、いい歌だなと思っています。

 実は、この望東尼という人はどんな人だったのだろうと、ずっと思っていました。理由はその名前で、仏教では古来「浄土は西方にあり」と言われているのですが、僧でありながらそれを知った上で「東を望む」というのですから、相当な反骨心をもった、当時ですから20代、30代の志士たちと同じような年代の尼僧かなと、ぼんやり思っていました。でも、それにしても、継句をして存在感のある歌にするのはすごいな、とも思っていました。

 ところが恥ずかしながら、つい最近調べてみると、野村望東尼という人は、「勤皇の志士たちの母」と呼ばれていて、当時60才くらいであったと分かりました。福岡藩士の娘として生まれ、二度目の結婚であった福岡藩士の夫が亡くなった後尼僧になり、夫婦で隠居所としていた山荘が、縁がつながって当時勤皇の志士を支える場所となり、本人も志士を支える存在となっていったようです。そして、そのことが原因で福岡藩から姫島というところに流刑になり、更に続きがあって高杉晋作などの志士たちが、そこから望東尼を助け出したのですね。つまり、そういう経緯があって、高杉晋作の最後の床の傍らにいたのですね。

 正直、ついつい歴史をゲームとして見てきた自分に恥じましたね。やはり、歴史というのは、人間が生きてきた証だと、そして過去だけではなく、今生きている人間につながっているものだと思いました。高杉晋作は二十七才と八か月で亡くなりました。西郷隆盛が「この世の中で一番怖いものは命を惜しまない生き方をしている人物だ」と述懐したと言われていますが、高杉晋作はまさにそういう人物だったのでしょう。

 翻って、今の64才の自分(伊澤)は、「命を惜しんで」生きています。それが恥ずかしいことだとは思いません。しかし、「命を惜しみ」ながら「生きる勇気をもって」毎日を重ねていきたいと思っています。つまり、「毎日一歩でも半歩でも前に出よう」と。そうであれば、高杉晋作にも望東尼にもしっかりと「こんにちは、伊澤です」と、臆せず、動ぜず、将来、挨拶ができるようになると、今思っています。