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小学校の特別支援学級(知的障害、情緒障害)の教育の特徴「教科別の学習をしない」

2019/07/04(木) 16:59 | izawa

 たぶん、全国的にもそうだと思いますが、札幌市内の小学校の「知的障がい」と「情緒障がい」の特別支援学級の教育の大きな特徴は何かと言いますと、大部分の特別支援学級で「教科別の学習をしない」ということです。
 「国語」とか「算数」などの教科別の時間を設けての学習を行わず、「日常生活の指導」ですとか、「生活単元学習」などの「各教科等を合わせた指導」というものを行っています。これは、昭和54年に当時の障害児教育が義務化になって以来、養護学校、特別支援学校、そして特別支援学級の教育の根幹をなすもので、いまだに脈々と続いています。

 これは、生活の中でのいろいろな経験を通して、知的障害をもっていたとしても「生活する力」「生活適応力」を伸ばしていこうとするもので、その反面、教科別の学習はほとんど行いません。義務化から40年を過ぎてもほとんど同じです。しかし、現在、知的に大きな遅れがなくても、「発達障害」ということで、小学校の特別支援学級に入ってくる子どもさんたちが増え、札幌市内の小学校の特別支援学級でも少しずつ「国語」や「算数」の教科別の指導や、その教科だけ普通学級で学習する「通級指導」が増えてきているようですが、数はまだまだ少ないと思われます。

 さて、この教科別の学習を行わず、「生活する力」「生活適応力」を伸ばすための「各教科等を合わせた指導」を行うというのは、どこかで聞いたことがありませんか?
 そうです。前回にとりあげた早期療育における「福祉としての早期療育」と同じなんですね。「福祉としての早期療育」の大きな欠点は、本来伸ばさなければならない基本的な発達を伸ばせない、ということです。それぞれの年令における生活力や生活適応力は、年令に応じた基本的ないろいろな発達が伸びて初めて一緒に伸びていくものです。

 特別支援学級の教育の場合、早期療育で伸ばさなければならないいろいろな発達が、教科別の学習で伸びる「学力」にあたります。そして、教科別の継続的、系統的な学習をしなければ、確実に「学力」は伸びません。いや、年令が上がるごとに、「学力」は落ちていきます。もし、知的には遅れはなくても、発達障害の診断あるいは疑いで、小学校の就学の際、特別支援学級に入学した場合、ほとんどの場合、学力が落ちていきます。もしそのまま6年生まで在籍したとして、小学校2年や3年くらいの学力であれば、その段階で脳に機能障害がなくても「知的障害児」になってしまいます。そこから、学力を上げていくのは非常に難しいでしょう。

 以上のことを踏まえて、申し上げたいのは次のことです。

 もし、幼稚園でいう年長さんになった段階で、知的に大きな遅れはない場合は、できるだけ普通学級に就学した方が良いということです。理由は、特別支援学級では「学力」が大きく落ちるからです。将来、脳に機能障害がなくても「知的障害児」になるからです。

 それから、知的に大きな遅れはないが、落ち着きがない、集団行動でじっとしていられない、教室からすく出てしまうような子どもさんがいます。この場合は、入学までにこれらの問題行動をなくしていかないと、普通学級に入学したとしても、教室での行動から普通学級では他の子どもさんたちとの学習が無理ではないかと、口では直接言いませんが、担任の先生とは、そういう話になっていくと思います。こういう場合は、親としてもそれ以上言えなくなります。一年かけて、行動面を改善する必要があります。

 さらに、知的に大きな遅れはないが、あまり友達と遊んだりせず、自分の興味があるものは熱中してどんどんやるけれど、興味のないものは全くやる気がない感じで、そのギャップが大きい場合、小学校の担任の先生は特別支援学級を間接的に勧めてくることが考えられます。もちろん先生にもよります。すべてが全てではありませんが十分考えられます。こういう子どもさんの場合も、就学までに、大人との一対一の遊びなどの活動を通じて、興味をもっともっと広げること、そして大人とのやり取りを豊かにしていくことが必要であると思います。

 本来は、特別支援学級の教育の在り方を変えていく必要があると思います。在籍する生徒がみな必要としている「学力」を育てるための「教科別の学習」の時間を増やすことについては、今、少しずつ保護者の方々が声を挙げはじめているようです。そして、北海道の高等支援学校では、今まで主流であった「職業科」とは別に、あいの里高等支援学校に開設された「教科別の学習」を中心とした「普通科」というものが将来増えてくると予想されます。であるとしたら、小学校や中学校の「知的障がい」や「情緒障がい」の特別支援学級の教育が今ままでと同じとはいかなくなることは十分考えらえます。

 最後に、子どもさん自身と教育全体の将来の大きな変化のために、実は幼児期の早期療育をいち早く「教育としての早期療育」にしていかなければならない、というのが、前回と今回共通した思いなのです。