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あるお母さんの思い出

2017/12/24(日) 22:39 | izawa

 療育教室 楽しい広場が始まって、平成29年は10年目の年でした。来年平成30年は11年目になります。

 このNPO法人としての療育教室 楽しい広場を始める前、25年間知的障害の養護学校の教諭を北海道でやっていました。私(伊澤)は、25才で教諭になり、5年後の30歳のとき、今でもありますが、「子供の城」というダウン症の子どもさんの早期療育を行う団体がありまして、そこが札幌でも教室を開くことになり、自分もボランティアとして指導員をやり始めました。その後、10年続けることになるのですが、最初の年、養護学校の教員を5年やっていましたが、子どもの発達のことは体系的には分からず、自分なりに手探りの状態でした。

 その当時日曜に行っていて、他にも数人指導員の方がおられて、それぞれ教室に来られた子どもさんの担当がありました。自分も何人か受けもっていたのですが、何回か通われたあるお母さんから、「担当を変えていただけませんか?」と言われました。つまり、「あなたではだめだから、別の人に変えてください。」ということです。もちろん、他の指導員の方に受け持ってもらいました。今思っても、そのお母さんが気まずそうな感じではなく、自然な感じで言われたように記憶しています。

 その時、悔しいというよりも、自分の指導員としての専門性のなさを自覚しました。このままじゃだめだ、と。そして、もし自分が親だったらそのお母さんと同じことをするだろうと思いました。そこからが、今の楽しい広場のスタートだったように思います。