「自閉症児は視線が合わない」というのは、以前から言われていることです。以前というのは、1943年にカナーが、1944年にアスペルガーがそれぞれ別々に、のちに「自閉症」と命名される子どもたちに関する論文を発表して以来ということです。
平成30年度の札幌市幼児教育センター作成の「アセスメントチェックシート」の中にも、「主な困り」というチェック項目の中に「目が合わない」が入っています。
これまで楽しい広場での相談でも「視線が合わない」ことに関する不安が多くありました。具体的には、
「前は視線が合ったが今は合わなくなった。」
「今まで数回しか視線が合った記憶がない。」
「母親とは視線が合うが、幼稚園の担任の先生とは視線が合わない。」
などです。これは、「自閉症は視線が合わない」と言われてきたことへの心配からだと思われます。
療育教室 楽しい広場では、自閉症を考える上で、「心の理論」を基本に置いています。
「心の理論」とは、例えば、外は晴れているのに、職場に田中さんが傘を持ってきたとします。それを見た同僚の山本さんは、
「田中さんはたぶん、〈天気予報が雨だ〉と思い、〈濡れたくない〉と望んだので、傘を持ってきたのだ。」と考えたとします。
このように、人の心の状態を「推定」し、それに基づき、人の行動を「解釈」し、行動を「予測」する能力を「心の理論」と言います。目に見えない心の状態を推測し、解釈し、行動を予測するので「理論」と呼ばれています。
この「心の理論」は、1990年代、イギリスのウタ・フリスが中心となって、認知心理学の立場から提唱されました。ウタ・フリスたちは、この「心の理論」が自閉症児には何らかの原因で欠けていると考えます。
さて、「自閉症児は視線が合わない」というのは本当でしょうか?
「心の理論」を提唱したウタ・フリスの著書の中に、箱を使い、人の顔を見て視線を合わせる実験研究の報告があり、この中で、グループごとに分かれた、同じ精神年齢の自閉症児や健常児、精神発達遅滞児は皆、同じように視線を合わせたと報告されています。楽しい広場の伊澤もこれまで、多分自閉症だと思われる中学生2人に会ったとき、視線は合いました。では、それなのにどうして「自閉症児は視線は合わない」という迷信が生まれたのでしょうか?
「目は心の窓」と言われます。我々は、視線を交わすことで、誰が何を考え、何を望んでいるかを読み取ろうとします。そして、視線の動きは複雑ですがほとんど無意識の「目による表現」として、我々がコミュニケーションをする上で、非常に重要な社会的能力の一つとなっています。
例えば、「人に哀願する目」「勝ち誇った目」「悲しそうな目」など、これらの目の動きの種類は、対人関係が多様なだけその数も増えていきます。これらの「目の表現」、言い換えると「まなざし」が意味するのは、「人の心の状態の分かり合い」があるからこそできるということです。
実は、自閉症児はこの「目による言語表現ができない」と考えられます。それはなぜか?
それは、自閉症児が「人は意識する。しかし、人の心の状態を認識することができない。」と考えられるからです。人は、人の心の状態が分かって初めて「目による言語表現」を行い、相手の「目による表現」を感じ取ることができるのです。
では、次回、このまとめを説明いたします。